今、私達が問われているのは「大我の愛」…

「好感を覚える人を愛するのはやさしいことです。

そこには徳性 も神聖さもありません。

好感の持てない人を愛する。

これが魂 の霊の高さを示します。

あなたに憎しみを抱いている人のもと に赴くこと、あなたの気にくわぬ人のために手を差しのべるこ と、これは容易なことではありません。

確かに難しいことです。

しかし、

あなた方は常に理想を目標としなければなりません。

他 人にできないことをする、これが奉仕の奉仕たる所以だからで す。

可愛そうにと思える人に優しくする、これは別に難しいことではありません。

気心のあった人に同情する、これも難しいことでは ありません。

が、敵を愛する、これは実に難しいことです。

愛らしい顔をした子供を治療してあげる、これはやさしいこ とです

しかし奇形の顔をした気の毒な人、ぞっとするような容 貌の人を治療するのは並大抵の心がけではできません。

が、それ が奉仕です。

真の愛は大小優劣の判断を求めません。

愛するとい うこと以外に表現の方法がないから愛するまでです。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社) p.142~143

 

「敵を愛し、憎む者に親切にせよ。のろう者を祝福し、はずかしめ る者のために祈れ。人々にしてほしいと、あなたがたの望むこと を、人々にもそのとおりにせよ。

自分を愛してくれる者を愛した からとて、どれほどの手柄になろうか。

罪人でさえ、自分を愛し てくれる者を愛している。

自分によくしてくれる者によくしたと て、どれほどの手柄になろうか。

罪人でさえ、それくらいの事は している。

また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手 柄になろうか。

罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとし て、仲間に貸すのである。

しかしあなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当 てにしないで貸してやれ。

そうすれば受ける報いは大きく、あな たがたはいと高き者の子となるであろう。」 (ルカ6章・27~28/31~35)

 

祭り

先日、自宅に元気な神輿の声が聞こえてきた。

思わず写真を撮り、アメリカにいる息子にメールした。

すると

息子「うるさそうw」

私「言葉が違うね。 『うるさい』はネガティブ

『にぎやか』とか『元気』が適切な言葉じゃない?

まして、神輿は町中を歩いて、厄を払いご神気を振りまいている。

だから、元気でにぎやかでなきゃ困るでしょ。

うるさいと感じる心か、

元気が出ると感じる心か、

あなたの今の心境が分かるね~」

息子…返信なし。

 

それを聞いた主人が

「あまり言うと、疎ましがられて連絡してこなくなるゾ。」と

 

ちょっと待って!お父さん

そんな、子供に媚びた小我な気落ちでどうするノ?

息子が「うざい」と思って連絡してこなくても構わない。

大切なのは、古来からの祭りの意味を伝えること。

商業性のあるフェスティバルとは違う。

 

と、同時に

息子が日本にいる時に「祭り」の意味を

きちんと伝えていなかった自分を深く反省した。