謙虚と卑下

日本人は「謙虚」を美徳とする。

謙虚は非常に強いエネルギーとなる。

自分がその道でエキスパートとなっていても、「まだまだ自分は…」と言う気持ちが、さらなる向上意欲を生み出してくれる。

 

しかし、

間違いやすいのが

「私なんかが、やっても…」「イヤイヤそう言う器でない…」とか

謙虚なのか、卑下なのか、

それとも相手へ牽制か、相手の出かたを見ているのか?

どんなに言葉は巧みであっても

言葉には「魂」が入っている。「言霊」である。

その人の思考が「言葉」となり

必ず「行動」となって表れている。

 

もし「卑下」がその人にあるならば、自分を卑下する人は、必ずどこかで他人も卑下して差別する言動がある。

 

相手の出かたを見ている人は、必ずどこかで相手からの評価を(特に感謝の言葉とか)無意識に求めている。だから、それが無いとショックを受けたり、理解してもらえないと怒ったりする。

 

謙虚な場合は「させて頂いてる」と言う発想だから、当然周りの評価も求めない。

さらに「自分はまだ未熟」と思えば、相手に期待もしないが、相手を比較して差別するような行動はとらない。

淡々と自分の出来ることを、精一杯やるのである。「謙虚」でなければ、超一流のプロにはなれないとも言える。

 

ほとんどの人は、今どんな言霊を発してるか意識が無い。

ある人が「心で相手を批判しても、絶対に口にしない」と言った。が、その人にその状況では口にしなくても、必ずその「批判する」と言う思考は違う形で出ている。

言動を注意深く見つめていると、分かってくる。

 

マザーテレサの言葉に

思考に気をつけなさい  それはいつか言葉になるから

言葉に気をつけなさい  それはいつか行動になるから

行動に気をつけなさい  それはいつか習慣になるから

習慣に気をつけなさい それはいつか 性格になるから

性格に気をつけなさい それはいつか運命になるから

 

…そう、「幸せな運命」を望むなら、まず、自分の思考を注意深く見つめることからだろう。

帰郷

そばに入れば

色々やってあげられる事もある。

でも、

遠くにいるからこそ

込められる想いもある。

 

想いは時空を超えられる。

老いる

耳が聞こえづらくな

字が見えにくくなり

歩くのが遅くなり

今までより支度に時間がかかり

美味しい食事も食べられなくなり

体の自由が利かなくなり

人のお世話になり

だんだん自分で出来ることが少なくなる

 

けれど

失えば失うほどに 、増えてくるものがある

 

それは

「なにもないのに、幸せ」

「なにもないから、幸せ」

 

その歳にならないと、分からないことがある。

 

 

老いることは、

真の幸福に近づく事かもしれない。