怠慢な日々。

以前の私は、「充実した日々を送る」ことを目指していた。

一生懸命に働き、家事をこなし、休日は子供や家族とできるだけ過ごす。時間があれば、体を鍛え、専門知識を深めるセミナーに参加する。時には、温泉や舞台や音楽会に行く…。当然のことながら、私のスケジュール帳はビッシリと予定が入っていた。

「予定がいっぱい」=「充実した日々」だったのだ。

しかし、スピリチュアルリズムを学びはじめてから、

一人の時間を優先し、極力予定を入れないようになってスケジュール帳は涼しげになった。

それは、一人でいる時間がないと「自分自身の考えや欲望や行動について客観的に観察する」熟考する事が難しいのである。「内観」する時間の確保である。

まだまだ「己を悟」ほどの領域には、とても程遠い。が、それでも「内観」することで、自分の奥のほうに内在するエネルギー「理性」や「大我」と言うものが非常にわかりやすくなってくる。

そして、今の方が「予定がいっぱい」のときより、あきらかに人生は充実して「思いを込めて生き抜いている」と断言できる。

自分を顧みる時間がないほど、多忙だった自分を「なんと怠慢な日々を送っていたんだ」と深く反省するのである。

 

 

 

 

 

明治神宮

朝、氏神様や明治神宮に参拝に行く。

とくに明治神宮の参道は長く、歩きながら季節の風を感じ、その道のりは、静かに自分自身と向き合える貴重なひと時である。

明治神宮は全国参拝者が最も多いとも言わているが、それは、原宿の表参道からの龍脈が流れているのと関係があるのかも知れない。

そんな地の利の良い環境もあり、近年、外国観光客の参拝が増えて来ている。

警備の努力もあると思う。ほとんどの外国人観光客は、マナーを守り、記念写真を撮り、ガイドの説明に合わせて、手を清め、二礼二拍一礼をしている。

その姿を見ていると、教育勅語の「博愛」の心を思い出すのである。

そして、明治天皇の懐の深さと表現するべきなのか、明治天皇は今でも「世界平和」を願い、天からこうして実践しているのではないだろうか?と感じるのである。

外国人、宗教こだわらず、私達に内在する「神我」がお互いに奥の方で一つに結びついている事を教えてくれているのだろう。

 

そして、毎回のごとく、未熟な自分を反省し、気づきの感謝と平和への祈りをする。

神前と向き合うと、小我な願いはとてもいう気にはならないものである。

スピリチュアリズム

18世紀以前までは「霊的」なことは「宗教」の専門分野でしたが、

1848年に初めて、アメリカのフォックス家でラップ音が鳴ったことから、霊界との通信が始まり。そこからが「近代スピリチュアリズム」の幕開けです。

その後、第一級の科学者達がその「心霊研究」を進めるうちに、「霊」の存在を認めざるを得なくなり、英国を中心にノーベル物理学者シャルル・リ。シャーロックホームスの著者コナン・ドイルなどがスピリチュアリズムの先駆者となり、「英国スピリチュアリズム協会」が設立されました。

同じ頃、ドイツでは神秘思想家アドルフ・シュタイナーが台頭し「人智学」やそれに基づいた「シュタイナー教育」が確立されました。

 

現在の英国では「スピリチュアル ヒーリング」には保険も適用され。英国王室の主治医にはスピリチュアルヒーラーもおります。英国民にとって「スピリチュアル」は非常にポピュラーになっています。

ここで大切なのは「死後の世界」とかいう事より、「私たちは、なぜ生まれて。どのように生きるべきか?」と言う答えが「霊的真理=霊的摂理」の中にしかない。という事です。

そして、日本では、TVの影響もあり「霊・魂」と言う言葉には、だいぶ抵抗がなくなってきているようです。しかし、まだまだ「霊的真理」と言うレベルでは、残念ながら正しく伝わってはいません。

その「霊的真理=霊的摂理」という観点からみると、

英国スピリチュアリズムの流れをくむ「スピリチュアリズム普及会」や

英国でスピリチュアリズムを学び、日本スピリチュアリスト第一人者の江原啓之氏が設立した「日本スピリチュアリズム協会」の2つが主でしょう。

 

なぜなら、「霊的摂理」を明確に、一切の不条理や曖昧なしに伝えているからです。そして、どこを切っても「金太郎飴」のように、どこから問題を照らし合わせても、その「霊的摂理」が正しく当てはまるのです。

時としてその摂理は、厳しさもあり冷たく感じる事もありますが、だからこそ、理性で「大我」以外のなにものでもないと、上記の2つからは学び取ることが出来ます。