必要なもの、必要だったもの…。

思春期のの息子は

「アイツには負けたくない」…と言い。

母の私は

「負けてたまるか」…を手放す時期になり

人生にはそれぞれのステージに

それぞれ必要なもの

いらないものがある。

しがみつこうとしているのは「過去の自分

春だ!!

勇気をだして

次のステージに進もう

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「見た」つもり・・・そうだった「はず」。

ルドルフ・シュタイナーが「事物の観察」をすすめるているが、
本当にその通りだと実感する

例えば、
目の前に「植物」を置いて5分間ジッーと観察して
そのあと、目を閉じて「見た」ものを表現してみる
「花弁の色は」「葉脈の形は」「花弁の数は」「手触りは」「茎から花へ変わる色は」etc…

 

電車の前に座った人を頭から足先までよく見て(相手にバレないよに)
すぐに目をつぶり、頭で思い浮かべてみる
「靴ひもの結びは」「靴下は」「携帯の色は」「カバンの自模様は」etc…
ありありと、浮かべられるだろうか?

 

普段の歯磨き粉でさえも 銘柄からデザイン、色、キャップの色、押した指の跡など全て詳細に言えることはなかなか出来ない。

 

どれだけ、私たちが「事物」を正しく見ていないか…
意識していないのではなく、
「しっかり観察」しても正しく見えてないのである。

 

写生をする人なら「しっかり見たつもり」でも

実際キャンバスに写そうとした瞬間

「見てない」自分に気が付くのではないだろうか?

 

今、目の前にある「事物」でさえ

正確に見えてないんだもの
私たちが「そうだった」と言う事実が

どれだけ「正確」なのだろうか?

 

そんな、自分の思い込みの「見かた」で
私たちは勝手に、悲しんだり、傷ついたり、怒り、喜ぶ…。

まず、「自分の見かたが『正確』ではない」と肝に命じたい。

奈良直美

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息子の一撃!?

先日の期末テストの前
塾から帰って来た息子が、ボッーと携帯を見ているので
思わず

「いいのかな?そんな事で…。
ズルズルして結局、自分に返ってくるんだよネ~」

などと言ってしまったら

瞬時に息子から

「お母さん! それ僕を心配して言ってないでしょう!!
お母さん自身の不安な気持ちを僕に押し付けているだけだよ!!!」

 

ぐっ・・・

・・・・
・・・・・・・
確かに…

落ち着いて考えみると
自分の中にある「怠けたらイケナイ!!!」と叱咤する声
それは
「アリとキリギリス」のキリギリスみたいに、なったらイケナイと…。

携帯→時間つぶす→→勉強出来ない→成績下がる→ダメになる…

こんな図式で『人生の敗北者』の烙印を押そうとしていた私。

頑張って、ガンバッて、負けちゃいけないと
何かをに不安を感じて、恐れている…。
それを無意識に隠していた私を

思春期の息子は、感じとってた

そして
一撃の一言・・・

最近

“感情”で言っているのか?

“躾け”で言っているのか???

本音はどちらどうか?と考えてしまう事がある。

 

ちょっと静かに自問自答していた私を見て

 

息子は気まずく思ったのか

「あのさぁ~。強く言い返したけどゴメン!
 応援してくれればイイんだよ。」

 

 

・・・・その通りだったね~

 

「子育てに王道は無い」

息子よ!
親子ともに一緒に成長していこう!!!

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