家族の「絆」

image週末から滞在日2日半と言う

超タイトなスケジュールでフロリダまで…

義理父の80歳「Surprise Party」で行ってきました。

私は仕事であまり、アメリカに行けないのですが

それでも、毎回会うたびに

なんて家族「絆」が固いんだろうと感心してしまう!

「仲が良い」とかの関係でなく

まるで映画「ゴッドファーザー」のような感じ。

初めの頃はグランパ(義理父)が、元米軍の将軍だったから

その「威厳」が家族をまとめていると思っていました。が、

今回、参加して何かそれだけでは、説明できないものに気が付いた。

「威厳」ではなくて、目上の人を「尊敬」する。

年寄りを「大切に」とか「いたわる」というのではなく

「尊敬」するという態度があきらかにある。

小さな従妹同士がケンカしていると

パッとそばにいる、姪や甥が取りまとめに入ってくる。

で、幼い子供達は、親元へ逃げ隠れるのではなく

ちゃんと話を聞いて仲直りしている。

甥や姪を親と同じように、信頼しているからでしょう。

また

ホテルのトイレで

知らない女の子達が大きい声でおしゃべりしていたら

そこへ入ってきたグランママは、穏やかに、でも、シッカリ目をみて

「ここでは声が響くから、外の方がいいわね」と

お互い顔を見合せた女の子達がサッーと去るとき、すがさず「Thank you!」

なんだろう

身内であろうと、他人であろうと ちゃんと躾けていく

そして、若い人は素直に受け入れている

その流れが、「絆」になっている感じがした。

私はクリスチャンではないので、普段、教会のミサには行かないが

今回は、家族みんなでミサへ行った…その時に、思った

キリスト教とか、仏教とかの「宗教」ではなく…。

そう「信仰」

「信仰心」というものが

彼らの中に「尊敬」

それ以上に「畏敬の念」というものを作り出しているように感じた。

孫達が自分の親を「尊敬」する。

そして親は「グランパ」を「尊敬」する

でも、そのグランパが

神様の前で頭を下げて座っている…。

どんな「偉い」人間でも、かなわない「何か」があり

それが「畏敬の念」へとつながっているのだろう。

グランパのこんな言葉を思い出した。

「特に子供は、1週間に1時間だけでいいから、

『自分の自由にならない時間』が必要。自分の意志ではどうすることも出来ないもの

がある。と言うことを知る必要がある。」と

大家族制がなくなり

アメリカの悪い部分だけを取り入れてしまったような、日本の「個人主義」

世代を超えて、お互いに共有するコミュニティー(信仰心)もなく

「お年寄りを『大切に、いたわりましょう』」なんて言うけれど

「尊敬」できれば自然に「大切に、いたわる気持ち」もてるはず。

いま日本では「尊敬」する事がなくなってきてはいないだろうか?

親が、学校の先生を「尊敬」しないなら、

子供が大人を「尊敬」するだろうか???

まして「畏敬の念」なんて…

本当に短い滞在だったけど、なにか大切なことを思い出させてくれた旅行だった。