救世主!ホメオパシー!

先週末の夜

突然、息子が「寒気がして頭が痛い!」と

えっまさか「インフルエンザ・・・」と青くなりましたが

息子がとり「あえず、ホメオパシーで様子を見る」と言うので…

 

ホメオパシー10年目の息子は

手慣れた感じで、自分でサッサと、

風邪用のレメディーを500mlのペットボトルに入れて

シャカシャカ振って、飲んでから

布団を一枚多くして、汗をかいたらすぐ着替えるパジャマ用意して

サッサッとベットへ

寝はじめて、30分過ぎあたりから

汗が噴き出すように出てきて、

途中かわいそうだったけど、すごい汗なので

2回ほど起こして、パジャマとシーツ総取り替え・・・。

 

翌朝、体温は計ったら「平熱」! 頭痛もなく、体も痛くない!

 

息子は「なんか汗で、疲れた~」と言っていたけど

学校から帰宅した時には、完全に普通に戻ってました~

 

個人差は、あると思いますが

「熱」を解熱剤で下げるより、出し切る「ホメオパシー」の方が

汗は大変だけど、断然、スッキリするし、

なによりも「自分で体と向き合う」姿勢ができるのが

親としてとても嬉しい♪

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老後の為に!?

「老後が心配だから運動を始めた」・・・と言う

今まで、ほとんど運動していない、

ある女性がいました。

毎週、パーソナルトレナーもつけて、ハードな運動ではなく

体の動かし方なども教えてもらいながらの基礎体力づくり

約半年、筋力もそこそこついてきて、

それは、それで良くなってきている感じです。

 

ただ私は、彼女の動機が気になります。

「老後が心配だから…」よく聞くセリフだけど

言霊と言われように、言った言葉はエネルギーがあるので

もうそれを言った時点で「私は老後、心配な状態になるんです!」って決めているんです。

無意識のうちに…

 

「心配」を解消する事を目的とすると

どんどんそこがクローズアップされて

結果的にはその「心配」ということが、大きな基準となり

自分の気持ちや考えを左右してしまうんです。

 

何事にも常に、「老後の心配」と言うメガネをかけて物事を見てしまいます。

 

今は、一時的に「運動」がうまくいっても

必ずどこかで、詰まってきてしまいます。

だって、潜在意識に「心配」を自分で刷り込んでいるのですから…

 

 

現に半年過ぎて

「ちょっと、無理してゴルフしたから

手首を痛めて、しばらくそこは動かさないように運動にしている…」と言われました。

 

理解するのは 難しいかもしれませんが

彼女の場合

手首の痛みは、自身の「不安」が作り出したものなのです。

 

 

「病は『気』から」と言いますが

「病気」が「気持ちの持ちよう」で治るという事より

知らずに思っていた「気持ち」が

その「痛み」や「病気」の原因となるものを作っているということです。

 

 

本来は

「老後の心配ため」を目標にするのではなく

「60歳になった時にあの山登りたい!」とか

「70歳になっても、あのハイヒールを綺麗に履きたい!」とか

 

「前に進む目標」 これから先の自分がどうありたいのか?

 

ここを、「気づいて」ほしい~

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奈良直美

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家族の「絆」

image週末から滞在日2日半と言う

超タイトなスケジュールでフロリダまで…

義理父の80歳「Surprise Party」で行ってきました。

私は仕事であまり、アメリカに行けないのですが

それでも、毎回会うたびに

なんて家族「絆」が固いんだろうと感心してしまう!

「仲が良い」とかの関係でなく

まるで映画「ゴッドファーザー」のような感じ。

初めの頃はグランパ(義理父)が、元米軍の将軍だったから

その「威厳」が家族をまとめていると思っていました。が、

今回、参加して何かそれだけでは、説明できないものに気が付いた。

「威厳」ではなくて、目上の人を「尊敬」する。

年寄りを「大切に」とか「いたわる」というのではなく

「尊敬」するという態度があきらかにある。

小さな従妹同士がケンカしていると

パッとそばにいる、姪や甥が取りまとめに入ってくる。

で、幼い子供達は、親元へ逃げ隠れるのではなく

ちゃんと話を聞いて仲直りしている。

甥や姪を親と同じように、信頼しているからでしょう。

また

ホテルのトイレで

知らない女の子達が大きい声でおしゃべりしていたら

そこへ入ってきたグランママは、穏やかに、でも、シッカリ目をみて

「ここでは声が響くから、外の方がいいわね」と

お互い顔を見合せた女の子達がサッーと去るとき、すがさず「Thank you!」

なんだろう

身内であろうと、他人であろうと ちゃんと躾けていく

そして、若い人は素直に受け入れている

その流れが、「絆」になっている感じがした。

私はクリスチャンではないので、普段、教会のミサには行かないが

今回は、家族みんなでミサへ行った…その時に、思った

キリスト教とか、仏教とかの「宗教」ではなく…。

そう「信仰」

「信仰心」というものが

彼らの中に「尊敬」

それ以上に「畏敬の念」というものを作り出しているように感じた。

孫達が自分の親を「尊敬」する。

そして親は「グランパ」を「尊敬」する

でも、そのグランパが

神様の前で頭を下げて座っている…。

どんな「偉い」人間でも、かなわない「何か」があり

それが「畏敬の念」へとつながっているのだろう。

グランパのこんな言葉を思い出した。

「特に子供は、1週間に1時間だけでいいから、

『自分の自由にならない時間』が必要。自分の意志ではどうすることも出来ないもの

がある。と言うことを知る必要がある。」と

大家族制がなくなり

アメリカの悪い部分だけを取り入れてしまったような、日本の「個人主義」

世代を超えて、お互いに共有するコミュニティー(信仰心)もなく

「お年寄りを『大切に、いたわりましょう』」なんて言うけれど

「尊敬」できれば自然に「大切に、いたわる気持ち」もてるはず。

いま日本では「尊敬」する事がなくなってきてはいないだろうか?

親が、学校の先生を「尊敬」しないなら、

子供が大人を「尊敬」するだろうか???

まして「畏敬の念」なんて…

本当に短い滞在だったけど、なにか大切なことを思い出させてくれた旅行だった。